僕がシャッター商店街にお店を出す理由

商店街活性化のリアルタイムドキュメンタリー

はじめに

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 人生のテーマ

僕の人生のテーマは『エンパワーメント』です。

エンパワーメントとは、「元気づける」「活気づける」「勇気づける」という意味があります。

これまで、仕事を通して、地方の企業を活性化したり、会社の社員を元気づけたりしてきました。

あらゆる対象を『エンパワーメント』することが自分の幸せであり、自分の存在意義だと思っています。

エンパワーメントの根源

『エンパワーメント』が人生のテーマになったのは、自身の生い立ちと深く関連があります。

 

僕の実家は岐阜市の柳ケ瀬という商店街の中にあります。

かつては繁華街であった柳ケ瀬商店街も、現在は典型的なシャッター商店街になってしまいました。

そんな廃れゆく商店街を目の当たりにして、「どうにかしたい」という想いが自然と芽生えてきました。

この「どうにかしたい」という想いが『エンパワーメント』という価値観につながっています。

新たな決意

僕は今年、社会人生活10年目を迎え、新たな決意をしました。

 

それは「柳ケ瀬商店街をエンパワーメントすること」です。

 

人生の最大のテーマに挑戦します。

 僕がシャッター商店街にお店を出す理由

「柳ケ瀬商店街をエンパワーメントする」と言っても、正直なところ、具体性がなく、ぼんやりとしています。

また、全く商売をやったことない素人が「商店街を活性化させる」と意気込んでも、全然説得力がないし、誰もついて来ません。

まずは自分が当事者となり、背中を見せる必要があります。

 

そこで、「自分でお店を出して柳ケ瀬商店街をエンパワーメントする」と覚悟を決めました。

 

もちろん、お店を出すことは手段であり、目的ではありません。

あくまで目的は「柳ケ瀬商店街をエンパワーメントする」ことです。

自分のお店を成功させて、柳ケ瀬商店街をエンパワーメントする光となります。

たった一人の熱狂が商店街を変える

 シャッター商店街を活性化させることは、そんな簡単なことではないことはわかっています。

そして、僕一人の力ではできないこともわかっています。

 

しかし、やりたいんです。

 

はじめは僕一人の熱狂かもしれませんが、たくさんの人を巻き込みながら、大きな熱狂にしていきます。

 

今後は、このブログで「お店をオープンするまでの過程」や「シャッター商店街を活性化させる挑戦」などをリアルタイムで更新していきます。

 

共犯者(一緒に盛り上げてくれる方)や目撃者(見守ってくれる方)になっていただけると嬉しいです。

 

意外と知られていない!?柳ケ瀬商店街の歴史

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 1889年~:始まり

 「柳ヶ瀬」という地名は、「カワヤナギの多い川の瀬」という意味があります。

もともとこの辺りは土地の低い湿地帯でした。

 

「柳ケ瀬」が町名として初めて誕生したのは1889年。

今から約130年前です。

 

しかし、すぐにお店が立ち並んだわけではありません。 

 

県庁の設置や鉄道の駅の敷設など、岐阜の市内が発展していくなかで、県庁と岐阜駅の中間に位置していたこと、新開地で土地の値段が安かったことにより、柳ケ瀬に徐々に人が集まるようになっていきます。

1920年代~:創成期

着物がファッションの時代、柳ケ瀬の将来性に呉服店が目をつけます。

様々な呉服店が開業し、柳ケ瀬は「呉服の街」となっていきます。

呉服店の進出はお互いの競争を激化させ、客が客を呼ぶ商店街の礎になりました。

1950年代~:繁栄期

この時代、活動写真(映画)がブームとなり、柳ケ瀬は「映画の街」として栄え始めます。

ピーク時は12の映画館が柳ケ瀬に存在していたようです。

 

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-当時の柳ケ瀬の住宅地図(赤いところが映画館)-

 

コンビニ並に映画館があります。

 

その中でも最大の劇場である岐阜劇場(番号1)は豪華さと広さで「陸の竜宮城」と呼ばれ、1日の最大入場者数は5000人を超えました。

 

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-岐阜劇場の外観-

1960年代~:全盛期

アーケードの完成を皮切りに、柳ケ瀬は全盛期を迎えます。

 

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-アーケード完成-

 

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-クリスマス商戦-

 

合成写真ではありません。

 

日曜祭日など休日ともなれば、柳ヶ瀬のメイン通り(柳ヶ瀬通り、日ノ出町通り、劇場通り)は、前の歩行者を追い越すのが容易でなく、時には肩がすれ合うような混雑ぶりでした。

 

さらに、1966年には美川憲一が『柳ケ瀬ブルース』という柳ケ瀬をモチーフにしたCDを発売します。

 

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-柳ケ瀬ブルース-

 

当時は一宮や名古屋からも柳ケ瀬に遊びに来る人が大勢いて、お店も1000以上あったと言われています。(現在は約400店ほどに半減)

 

しかし、1970年代に入り、高度経済成長が止まり、柳ケ瀬の繁栄にも陰りが見え始めます。

1980年代~:衰退期

日本経済が低成長期に入り、郊外人口の増加、市中心部の人口減などの社会情勢の変化もあり、柳ケ瀬は徐々に衰退していきます。

 

そこに拍車をかけたのが、1999年の近鉄百貨店の閉店です。

 

柳ケ瀬の2大シンボル(高島屋と近鉄百貨店)のうちの1つを失うことになります。

2000年代~:迷走期

大型店の閉店はさらに続きます。

 

2002年 長崎屋岐阜店閉店(今で言うドンキ)

2004年 岐阜センサ閉店(今で言うルミネ)

2009年 岐阜メルサ閉店(今で言うパルコ)

 

これを見て「懐かしい」と思った方は、紛れもなく岐阜人です。

 

なんとかこの状況を打開しようと新たな一手を打ちます。

 

 

やなな(柳ケ瀬商店街非公式キャラクター)の誕生です。

 

 

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。。。。

 

 

 

突っ込みどころ満載のやななですが、2013年まさかの「電撃引退」。

 

その後も、イベントの開催やお化け屋敷の設置など、様々な工夫を凝らしますが、人は戻って来ません。

2010年代~:転換期

絵に描いたようにシャッター商店街への道を歩んできた柳ケ瀬。

しかし、この頃から少し変化が見え始めます。

2014年、あるイベントが開催されたのです。

 

つづく

 

 

 「ブランド人に!おれはなるっ!!」って、そもそもブランド人って何!?

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先日発売された書籍『ブランド人になれ』が話題となっています。

著者はLINEで上級執行役員を務め、現在スタートトゥデイに在籍する田端信太郎さんです。

ブランド人とはどういうものなのか、自分の解釈も含めまとめてみました。 

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普通の会社員

上の図の左側のイメージです。

普通の会社員の場合は、自分の円は会社の円を超えることはありません。

個人の業績は全て会社のものとなるため、個人としての功績は積み上がりにくいと言えます。

また、個人として稼ぐ力がないため、どうしても会社に依存した働き方になってしまいます。

ブランド人

上の図の右側のイメージです。

ブランド人とは、「自分の名前で仕事ができる人」のことを指します。

ブランド人の場合は、会社に所属しながらも自分の名前で仕事が出来るため、自分の円は会社の円の外にあります。

さらに、自分の円と会社の円と掛け合わせれば、より大きな仕事が生み出せます。 

また、自分の名前で仕事ができるようになれば、会社に依存しない働き方が出来るようになります。

独立/フリーランス

上の右側の図で会社の部分が小さくなったイメージです。

独立する/フリーランスになる場合は、自分の円は作れるものの、会社の円が小さくなるので(特に始めのうちは)、自分の円にレバレッジをかけにくくなります。

つまり、大きな仕事が出来にくくなるということです。 

 

独立する/フリーランスになるという選択肢を取るのは、ブランド人になり自分の円を大きくしてからが最適です。

(※もともと自分の円が大きい人は始めから独立しても問題ない)

 ”ブランド人”に!!!おれはなるっ!!!!

僕は会社員でありながら、地元の商店街を活性化させる活動をしています。

独立して地域活性化の活動をする方は多くいますが、僕は独立するという選択肢は考えていません。

なぜなら、会社にいながらその活動を続けることが、ブランド人につながると考えているからです。

また、現在働いている会社は「イノベーションを通して地方を元気にする」という大義があり、僕の地元の商店街を活性化させるという活動は会社の大義にも直結します。

 

将来的には、会社の仕事と個人を活動を上手くリンクさせたいと思っています。

 

これからの小売のあり方、小売3.0とは?

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小売3.0って何?

「小売3.0」ってなんかそれっぽく聞こえますが、僕が勝手に生み出した造語です。

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これが僕の考える「これまでの小売のあり方」と「これからの小売のあり方」です。

では、それぞれ説明していきます。

小売1.0(〜1990年代前半)=実店舗

これは、インターネットが普及する前の小売のあり方です。

販売チャネルは実店舗しかないので、商圏は限定的です。

商圏とは「商売の勢力が及ぶ範囲」のことを指し、実店舗の場合、一般的な商圏は半径1km程度です。

最大商圏でも主要交通手段(自動車等)で10分以内の範囲と言われています。

この小売のあり方の中で商店街も発展していきます。

小売2.0(1990年代後半~現在)=実店舗+ネット通販

1990年代後半、楽天市場を始めとするインターネット通販の台頭により、小売の概念が大きく変わります。

これまでは限定的であった商圏が、インターネットの普及により、全国(全世界)まで広がります。

その後は、「実店舗+ネット通販」というのが小売のスタンダードになっていきます。

また、最近は、O2OやOMOといったオンライン(ネット)の顧客をオフライン(実店舗)に誘導するような試みも行われています。

小売3.0(現在~)=(実店舗+ネット通販)× 個人

2010年代後半~、FacebookやTwitter、InstagramなどのSNSの普及により、「個」が影響力を持つ時代になっていきます。

「実店舗+ネット通販」というこれまでの小売のあり方に「個」を掛け合わせることで、大きくレバレッジをかけることが可能になりました。

企業が広告で販促をするよりも、影響力のある個人が発信をした方が効果がある時代です。

「個」を際立たせ、お店(商品)を構築していくのかが、これからの小売の重要なファクターになります。

これからの挑戦

この分析だけだと、ただの評論家で終わってしまうので、僕はこの「小売3.0」を体現します。

個人としての影響力を高めることができれば、たとえシャッター商店街にお店を出したとしても成功させられるということを証明したいと思います。

 

随時ブログで状況報告をしていくので乞うご期待!